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福島地方裁判所 平成9年(ワ)145号 判決 2000年5月23日

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

安田純治

被告

右代表者法務大臣

臼井日出夫

右指定代理人

翠川洋

外五名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金一一九二万六六一六円及び内金一〇五万円に対する平成七年一〇月二五日から、内金一〇八七万六六一六円に対する平成九年七月一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、服役していた刑務所内での刑務作業中の事故により左大腿部打撲兼筋挫創の傷害を負った原告が、被告に対し、刑務官が作業安全に関して十分な指導監督をせず、また、怪我が完治しないうちに労役に従事させたなどと主張して、国家賠償法一条に基づき、後遺症による逸失利益、慰謝料等の損害賠償を求めた事案である。

一〜三 <省略>

第三  判断

一  前記争いのない事実、証拠(甲一、三ないし五の各二、六、七の一及び二、八、九、乙一ないし五、六の一及び二、七、九、一二ないし二〇、二一の一、二二ないし二八、証人土屋正彦及び同板垣隆の各証言ならびに原告本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。

1  原告は、平成七年七月二〇日、懲役刑の執行のために同刑務所に収容され同年八月二九日、収容区分により福島刑務所から山形刑務所に移送された。

原告は、同年九月二一日、家具などの木工品を製作する第七工場に配役され、その技能や適性を判断するために、約二〇日間、木のダボを木づちで打ち込む組立作業に従事した後、同年一〇月上旬から、同工場内に設置されているダブルエンドテノーナーと呼ばれる木工機械(本件機械)の機械取扱補助者となった。

2(一)  本件機械の構造及び使用方法は、以下のとおりである。

(1) 送材口にいる機械取扱者は、加工しようとする部材の左側を、キャタピラーチェーンの左側に固定されている案内定規に当てる。同チェーン上にはドグ(材料を押さえるための突起)があり、機械取扱者は、部材の前をドグに押し当てて、その位置を固定して部材を同チェーン上に載せる。

(2) キャタピラーチェーン上を部材が進むと、上部に設置されたプレッシャーベルトが、上から圧力を加えるように部材を押さえつける。同ベルトは、キャタピラーチェーンより若干早い速度で進むように調整されており、部材は、同ベルトによる上からの圧力と前方への若干の推進力を受けながら、前方のドグに支えられてその位置を固定されたままキャタピラーチェーン上を受材口に向けて進んでいく。このように、プレッシャーベルトの圧力と前方のドグに押しつける推進力によって、部材は機械取扱者による把持がなくても位置を固定したままキャタピラーチェーン上を進んでいく。

なお、本件機械においては、右のようにプレッシャーベルト(なお、その高さは、部材の厚さに応じて調節することができる。)が部材を固定する上で大きな役割を有しているところ、本件機械には、部材とプレッシャーベルトとの間に隙間があり、同ベルトによる圧力が加えられていない場合に機械を停止させる安全装置が付いていた。その機能は、キャタピラーチェーン上を進む部材が、下から立ち上がっているリミットスイッチに触れながら、プレッシャーベルトと同じ高さに設置されているもう一つのリミットスイッチに触れないときは、同ベルトの位置が高く、適切な圧力が加わっていないと判断して、キャタピラーチェーンが止まるというものである。

(3) キャタピラーチェーン上を進む部材を上下左右に設置された丸鋸回転刃が裁断加工する。

(4) 裁断加工された部材が、キャタピラーチェーンに載って受材口から出てくる。キャタピラーチェーンの終点で、ドグによる支えがなくなるため、部材はプレッシャーベルトによる前方推進力によって、受材口前に置いた受け台(幅三六センチメートルの固定されていない机)の上に出てくる。

(5) 機械取扱補助者は、部材に付いている木くずをエアガン(圧縮空気を吹き出す機械)によって吹き飛ばし、これを本件機械の脇に積み上げる。

なお、本件機械を停止する際は、部材の加工が終了した後に、丸鋸回転刃及びキャタピラーチェーンのスイッチを切るか、緊急停止スイッチを押して停止させる。停止させた本件機械を再始動させる手順は、通常の始動方法と同じである。

(二)  山形刑務所では、本件機械を昭和六二年一〇月、第七工場に設置し、平成一一年秋まで使用していた。

原告が本件機械の取扱補助者になった平成七年一〇月当時、本件機械の機械取扱者は乙川であった。

乙川は、平成六年四月二八日から第七工場で就業していた受刑者であり、同年五月三〇日から機械取扱補助者として、さらに同年一一月二八日から機械取扱者として本件機械を操作していた。乙川に対しては、機械取扱者となった際に土屋が本件機械の始動方法や停止方法等、機械の操作手順とこれに対応すべき動作を具体的に指導するとともに、プレッシャーベルトによって部材が押さえられ固定されるといったその構造に関する説明を行った。また、本件機械の脇に始動される際の一連の作業手順と注意事項が記載された作業安全標準書が掲示され、これがビニール袋に入れて備え置かれていたところ、毎月就業初日に工場内で開催される安全衛生教育等の際には、右標準書の再確認とその厳守が繰り返し指導され、注意喚起が行われていた。

乙川は、本件機械に関する作業に従事してから本件事故に至るまでの約一一か月間、作業手順を遵守して作業を行っており、特段異常な操作や動作を行ったことがなかった。

3(一)  土屋は、原告を本件機械の機械取扱補助者に就けるに際して、原告に対し、本件機械の概要を説明した上で、丸鋸回転刃の回転力で部材が飛んでくる危険があるから、安全のためにセーフティガード(胸部及び腹部を保護するための硬質プラスチック製保護具)を着装するとともに、キャタピラーチェーンの延長線上から体を逃がした位置に立つこと、出てきた材料が止まってから取ること、受材口を絶対にのぞき込まないこと、本件機械から切り落としたくずを取り出すときは、必ず丸鋸回転刃が停止したことを確認してから行うことなどを注意した。その上で、土屋は、機械取扱補助者の作業を自ら実演して見せ、次いで原告に作業を行わせて、原告が作業内容を理解したことを確認した。

以後、原告は、本件事故発生までの間、機械取扱者の乙川とともに、本件機械で部材を裁断加工する作業に従事した。

土屋が工場内を巡回している際、原告が左足をキャタピラーチェーンの延長線上に踏み込んだ体勢で作業をしていたため、土屋が「もっとこっちで作業を行うんだ」と指示し、原告の左足を持って体の位置を修正したことがあった。

(二)  なお、右の点に関し、原告は、土屋は、本件機械は危険だから、事故がないよう気を付けるようにと述べただけで、他に何ら具体的な説明をしていない、自分は、乙川から、出てきた部材にエアを吹いて、台車に載せるように、そして、セーフティガードを付けて仕事をするのが普通だから付けるようにと指示されただけであり、キャタピラーチェーンの延長線上に入ると危ないと聞いたことはなく、土屋から体の位置を修正されたこともないと供述し、同旨の内容を記した原告代理人宛の手紙(甲三の二)を提出する。

しかしながら、原告への指示説明に関する証人土屋の証言は具体的かつ詳細であるのに対し、原告は、事故後の取調べの際は、本件機械の「出口には、材料が飛ぶ恐れがあるので絶対に立たないように工場長や技官先生に指示され十分知っていました。」と述べていたことが認められ(乙六の一)、これが原告の任意の供述でなかったと窺わせる証拠は何もない。証拠(乙八ないし一五、証人土屋)によれば、第七工場では、工作機械の付近に作業安全標準書を設置して、注意事項を明記したり、就業者に対して、毎朝の安全十則の唱和、毎月就業日初日の作業安全日における作業安全指導、さらに毎年七月の作業安全月間における特別指導などを実施して、作業上の事故防止に向けた取組みが繰り返し行われていた状況であったことが認められるのであり、これらの事実を総合考慮すれば、土屋が何も具体的な説明をしなかったとする原告の右供述は措信することができない。

4(一)  平成七年一〇月二五日、原告と乙川は、本件機械の部材の裁断加工作業を行っていたところ、午前一一時四〇分ころ、浦山から、加工された部材に傷が付いているとの指摘を受けたため、本件機械を停止させて、浦山の所へ赴いた。浦山の指摘した部材の傷は、鋭利な刃物でひっかいたような鮮明のものではなく、光の当たる角度によっては判らないようなへこみが部材の端に数か所あったというもので、濡れた布を同部位に当てて上からアイロンを掛けることで修正可能な程度の、無意識に部材を何かにぶつけたり、木くずが付いたまま部材を積み重ねた場合に生じるようなものであり、本件機械の不具合によって生じたものでないことは明らかであった。浦山は原告らに部材の取扱いに注意するよう促し、原告らは注意を受けた後、本件機械に戻り、作業を再開しようとして、乙川が本件機械を始動させ、部材をキャタピラーチェーンに載せて送り出した。ところが、部材は途中で止まってしまったので、乙川が本件機械を停止させ、原告とその原因を調べると、丸鋸回転刃を動かすスイッチを乙川が入れ忘れていたためであると分かった。そこで、乙川と原告はプレッシャーベルトを緩めて右部材を取り出し、乙川は再度次の部材(本件部材。長さ約一八〇センチメートル、幅約四〇センチメートル、厚さ約1.7センチメートル)をキャタピラーチェーンに乗せて送り出した。その際、乙川が、右の経緯で緩めたプレッシャーベルトを本件部材に合わせて再度調整し直すことを忘れ、プレッシャーベルトが本件部材を押さえつける機能を発揮しない状態のままで本件部材を送り出したため、本件部材は三分の二程度切断されてドグによる抑止がなくなると同時に丸鋸回転刃の勢いを受けて前方に飛び出して、受材口に立っていた原告の左大腿部に衝突した(本件事故)。

(二)  ところで、本件部材が衝突した際に原告が立っていた位置について、土屋証人は、原告が受け台の端(受け台を挾んで本件機械に正対するような位置)に立っていたと推測し、かかる位置関係を図示した図(乙五)を作成しているが、原告がかかる位置に立っていたことは目撃されておらず、他に右推測を裏付ける特段の証拠はない。土屋証人の証言によれば、同人が本件事故後、本件部材を見たところ、本件部材は約三分の二程度まで裁断された後、丸鋸回転刃の跡がほぼ直線上に点々と付いていたと認められ、案内定規がキャタピラーチェーン左側に固定されていたことからすれば、本件部材は同チェーンの延長線上にほぼ真っ直ぐに飛び出したものと推定される。以上の事実に、原告が受け台の端に立っていたと供述しつつ、「板を掃除するのに、又板の傷を調べるのに、自分の体を台にくっつけて仕事をしていたと思います」と述べていること(甲五の二)、そもそも受け台はその位置が固定されておらず、受け台の位置如何によっては原告が述べる位置に立っていても本件部材が左大腿部に衝突する可能性があること(土屋証言)、受け台の幅が三六センチメートルであり、本件部材の幅よりも狭いことに照らせば、受け台の脇でキャタピラーチェーンの延長線上に左足を少し踏み入れるような位置でやや半身で本件部材を待っていた原告に、ほぼ真っ直ぐに飛び出した本件部材が衝突したと認めるのが相当である。

(三)  なお、本件機械には前記2(一)(2)のとおり安全装置が付けられていたところ、右のようにプレッシャーベルトを調節していなかった本件で、何故安全装置が作動しなかったのかは必ずしも明らかでない。土屋証言によれば、本件事故後、再現実験をした際に、本件部材のように長い部材であれば、機械取扱者の支え方によっては部材の前方が少し浮き上がってしまい、部材とプレッシャーベルトの間に隙間があっても上下のリミットスイッチに触れてしまうことがあり得るが、その場合であっても、プレッシャーベルトの摩擦により、ゆがんで進みつつも、飛び出すことはなかったとされる。結局、前記のような本件機械の構造によれば、上下のリミットスイッチに触れつつも、プレッシャーベルトによる圧力や摩擦がかからないという、極めて稀な条件が重なったことによって本件事故が発生したと推認することができる。

5(一)  原告は、本件事故によって左大腿部打撲兼筋挫創の傷害を受け、直ちに同刑務所内の病舎に収容され、飯島医師による治療を受けた。骨折はしていなかったものの、患部の筋肉が挫創し、内出血による血腫が認められ、事故当日は、自力でトイレに行けない状態であったため、消炎剤や鎮痛剤等が投与されるとともに、カテーテルによる導尿が行われた。また二日後の一〇月二七日時点では、しびれや圧痛があり、血腫等が認められたため、投薬が継続された。

しかし、同月三〇日になると、腫れの範囲が縮小し、痛みが治まり、投薬や湿布が続けられた結果、一一月六日になると、親指のしびれがあるものの、局部腫脹のみとなった。そこで、飯島医師は室内作業であれば可能であると判断し、原告は病舎から舎房(第一舎)へ移された。当初数日間、原告は、舎房において、電機部品の組立を中心とした軽作業を座って行っていたが、その間、運動は辞退し、入浴の際は舎房と入浴場との間を足を引きずって歩いていた。

その後、原告は、自動車部品の配線組立作業を行っている工場で、身障者や精神疾患を有する者などが多く属している第二工場に配役され、同月一三日から出役した。同工場での作業は、作業席に座って、配線にコネクターを差し込む仕込作業と、仕込作業によって作られた配線を一つの部品として組み立てていく組立作業とに分かれているところ、原告は、まず、座ってできる仕込作業に、次いで椅子に座ってできる程度の簡単な組立作業に従事した。配役当初、原告は、朝夕の行進の際などに、足を突っ張った状態で歩いており、他の受刑者の歩調に合わせることができなかったため、隊列から外れて、付添の刑務官とともに移動していたが、出役後一週間程度で、足を突っ張らせながらも、他の受刑者の歩調に合わせて歩くことができるようになった。

第二工場へ出役するようになって約一か月が経つと、原告は、次第に難度が高く、立ち作業や、完成した製品の運搬の必要がある組立作業に従事するようになった。同工場では、受刑者は、医師による診察や、投薬の申し出をいつでも申し出ることが可能であった。原告は、同工場へ配役された後も左大腿部痛による診察や湿布の投与を受け続けていたが、一二月七日に湿布を一〇日分処方されると、その後感冒や白内障での診察は受けることはあっても、左大腿部痛による診察や投薬は求めなくなった。原告は、左足を突っ張るような歩き方をし、左足の歩幅が右足のそれよりやや短いため、長い距離を歩くときや、小走りの時は他の受刑者より遅くなり、また運動の際は、見学や審判役をする程度で参加することはなかったが、日常生活上においては、他の受刑者とともに普通の早さで歩くことができ、作業に支障が生じたことはなかった。

ところで、平成八年四月一日、原告は、和式便所でしゃがんだときに再度左下肢痛が生じたと申し立て、医務室で飯島医師の診察を受けた。飯島医師が診察したところ、腫れや新たな血腫は認められず、普段より負担がかかる体勢でしゃがんだことにより、以前打撲した左大腿部の筋肉の部分が急激に伸ばされて痛んだものと判断されたため、消炎鎮痛剤の投与が行われた。その後、原告は、四月一八日及び五月二二日に同様に左下肢痛のため飯島医師の診察を受けたが、腫れや新たな血腫は認められず、同様の診断により消炎剤の投与だけが行われた。

原告は、仮出獄を控えた同年六月五日から、釈放前教育として刑務所内にあるあけぼの寮に入寮した。在寮中、原告は、草むしり作業を座って行い、リヤカー引き作業は他の受刑者に代わってもらうことがあった。

(二)  なお、右認定に関して、原告は、平成八年二月ころ、医務室で、医師から足のしびれは簡単に取れないと言われて投薬を受けられないことがあったと供述するが、かかる供述を裏付ける証拠はなく、他方、診療録(乙二一)の記載及び板垣証人の証言によれば、原告の求めに応じてその都度診察や投薬が行われていた事実が認められるのであるから、原告の右供述は措信できない。

6  原告は、同年六月一九日、仮出獄により、山形刑務所を出所した。

原告は、出所後、同年八月から福島県内でラーメン屋の自営を行っていたが、平成九年一月一日、店内でスープの入ったズンドウを持ち上げた際、腰を痛めたとして、腰痛、右下肢痛、しびれを訴えて、翌日から郡山市内の今泉西病院に入通院を行っている。

二  以上の事実を前提に、本件事故の発生に関して、被告の注意義務違反が認められるか(注意義務違反一)につき検討する。

1 国が、刑務所に在監している受刑者の生命身体の安全確保について注意するべき義務を負うことは多言を要しない。

本件において、原告が本件機械の取扱補助者として行う作業それ自体は受材口で裁断加工された部材の木くずをエアガンで吹き、これを脇に積み上げるという単純な作業であるものの、本件機械が高速で回転する丸鋸刃を内蔵するもので、プレッシャーベルトが正常に作動しない場合は部材が受材口から飛び出す危険を有するものであり、原告が本件機械について特段知識や技能を有していたのでない以上、原告を監督する刑務官らは、原告に対し、原告を取扱補助者の作業に従事させるに当たって、十分な安全教育を行い、本件機械がかかる危険性を有することを理解させた上で、安全確保のための指導監督を適切に行うべき注意義務を負うものと解するべきである。

また、本件機械を用いた作業は、機械取扱者と取扱補助者の二人一組で行うものであるところ、本件機械が前記の如き危険性を有するものである以上、刑務官らは機械取扱者である乙川に対しても、本件機械がかかる危険性を有することを理解された上で、事故を未然に防止するよう、本件機械の適切な操作方法を教示すべき注意義務があると解すべきである。

2  まず原告に対する指導監督については、前記一3(一)で認定したように、土屋は原告に対し、作業に従事させるに際して、本件機械から部材が飛んでくる危険性を説明して、安全のためにセーフティガードを付けること、キャタピラーチェーンの延長線上から体を逃がした位置に立つこと、出てきた材料が止まってから取ることを懇切に指導したこと、さらに、土屋が巡回中に、原告に左足がキャタピラーチェーンの延長線上に踏み込んでいたために、原告の左足を持って位置を修正したことがあったことが認められ、また、証拠(乙九、一二)によれば、本件機械の脇には作業安全標準書が掲示されており、キャタピラーチェーンの延長線上に立たないで部材の受け取りをするよう注意喚起がされているところ、原告は、少なくとも平成七年一〇月二日の安全衛生教育を受けた時点で、作業安全標準書の存在と記載内容について説明を受けたことが認められる。本件機械には作業中に部材が飛び出す危険性が存在したのであるが、受材口の前(キャタピラーチェーンの延長線上)に身体を入れなければ、危険が現実化して部材が飛び出してきたとしてもこれを避けることができたこと、土屋の安全指導は、予測し得る事態に対処するものとしては十全になされていたと言えることからすると、土屋や浦山の指導内容は、本件機械の危険性を原告に理解させ、事故を未然に防止するに足りるものであったということができる。

次いで、乙川に対する指導についてみると、本件の如き事故を防止するための機械取扱者に対する指導としては、本件機械の指導手順の正確な説明とその遵守を促すことが必要となるところ、前記一2(二)によれば、土屋が本件機械の始動方法について説明するとともに、作業安全標準書に始動方法が明記され、これが掲示されるとともに、その再確認と厳守が繰り返し求められており、乙川は本件事故に至るまで約一一か月事故を起こすことなく本件機械を操作していたというのであるから、土屋らの指導内容は、本件機械の危険性を乙川に理解させ、事故を未然に防止するに足りるものであったということができる。

3  以上の点に関して、原告は、前記第二、二1(一)のとおり、本件事故直前の状況を根拠に、浦山は運転再開に際し本件機械の側に行き原告及び乙川に対して改めて具体的に注意を喚起させるべき注意義務があったと主張する。しかし、原告が根拠とする事情の内、事故直前に部材の傷が発見された点については、その傷が単に部材の端にへこんだような傷が数か所あったというものであり(前記認定一4(一))、本件機械の操作と無関係なもので、機械や操作の不具合を窺わせるものではないのであるから、かかる注意義務の根拠たり得ない。また、本件事故直前に、操作要領と異なり、部材の切断途中で機械を停止させ、部材を取り除くなどしていた点について見ると、確かに、かかる作業は、操作要領に反するものではあるが、乙川は丸鋸回転刃の始動スイッチを押し忘れたために部材が途中で動かなくなったことに気づき、本件機械を停止させ、再始動させたにすぎず、その手順は、通常の操作方法と何ら異ならないのであるから、原告と乙川が単にかかる作業をしていたからといって、浦山が再始動に立ち会って改めて原告らに具体的に指示し注意喚起をすべき注意義務を負うとまでいうことはできない。

4 結局、本件事故は、浦山や土屋らの安全指導にも拘わらず、乙川が本件機械を始動させる場合に当然に行わなければならないプレッシャーベルトの調節を怠るという初歩的な操作上の誤りを犯した上、原告がキャタピラーチェーンの延長線上に左足を踏み入れたために発生したものであって、原告が主張する注意義務違反一は、これを認めることができない。

三  次いで、本件事故後の処遇における被告の注意義務違反が認められるか(注意義務違反二)につき検討する。

1 国が、刑務所に在監している受刑者の生命身体の安全確保について責任を負うべきことは前述のとおりである。とりわけ、受刑者が疾病を有している場合は、受刑者が行動の自由を制約され、治療方法の選択等に関する自己決定が自由になし得ない状況にある以上、国は、受刑者に対して、当該疾病の治療に必要で適切な措置を講じ、かつ、当該疾病の治療の妨げとなるような処遇を行ってはならない注意義務があるというべきである。

2  かかる観点から、本件について見ると、前記一5(一)によれば、原告は本件事故によって左大腿部打撲兼筋挫創の傷害を受けた後、一一月六日まで病舎で入院治療を受けていたが、痛みが治まってくるとともに、受傷部位の腫れが縮小化し、局部腫脹のみとなったことから、同日、病舎から舎房へ移り、数日間、座ったままの軽作業を行っていたこと、原告は、同月一三日から第二工場へ出役するようになったが、同工場では、座ってできる仕込作業や座ってできる簡単な組立作業を約一か月間行った上で、立ち仕事などを要する難度の高い組立作業を行うようになったことが認められ、被告は、負傷した原告に対して、一二日間の入院治療を受けさせた上で、負担の小さな作業から順に行わせるという配慮をしていたことが認められる。これに対して原告が、第二工場において、医師による診察や、投薬の希望をいつでも申し出ることができる状況にありながら、一二月七日に湿布の処方を受けた後は、平成八年四月一日まで四か月近くの間、診察や投薬の申し出を全くしなかったことは前記一5(一)のとおりである。これらの事実によれば、本件事故後、原告が刑務作業に従事していく過程において、被告が原告の負傷部位の治療に必要かつ十分な措置を怠ったとも、負傷部位の治療の妨げとなるような処遇を行ったともいうことはできない。

前記認定事実によれば、原告は、第二工場に配役され、他の受刑者と同様の生活を送るようになってからも、左足を突っ張るような歩き方をし、左足の歩幅が右足のそれよりやや短いため、長い距離を歩くときや、小走りの時は他の受刑者より遅いことがあり、また運動の際は、見学や審判役をする程度で参加することはなかったとされ、また、仮出獄前の時点でも、草むしり作業を座って行い、リヤカー引き作業は他の受刑者に代わってもらうことがあったというのであるから、左大腿部の本件事故によって打撲した筋肉部分が伸ばされる際に生じる痛みは出獄時まで残っていたと窺うことができる。しかしながら、原告が刑務官らから、怪我の治癒を妨げるような処遇を意に反して行われたり、原告の求める治療が拒否されたりしたといった事実は認められない(原告自身、本人尋問の際に、第二工場を担当する刑務官の板垣隆から、負傷部位が痛かったら椅子に座って仕事をするように何度も言われた旨述べており、刑務官らが原告に配慮していた様子が窺える。)そうすると、注意義務違反二の義務違反は認められず、被告の行った処遇が原因となって、原告の左足の痛みが治癒しなかった、あるいは悪化してしまったということもできない。

3  以上によれば、原告が主張する注意義務違反二の主張は理由がない。

四  以上の次第であって、原告の請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・生島弘康、裁判官・高橋光雄、裁判官・堀部亮一)

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